母の日にカーネーションはつきもの。
そう思って今まで暮らしてきたものの、
「どうして母の日にカーネーションを贈るの?」
こう、子どもに尋ねられると、返事に困ってしまいますよね。
いざというとき困らないため、母の日とカーネーションの
関係についてお伝えします。
母の日に贈るカーネーションの由来
母の日のカーネーションと切ってもきれない女性がいます。
名前は、アンナ・ジャービス。
アンナは20世紀の初め、アメリカのウエストバージニア州に
住んでいました。
アンナが母親を偲び、その偉業を称えるため提唱したのが
「母の日」なのです。
アンナの母親であるアン・ジャービスは「Mother’s Day Work Club」と
いうボランティア団体を設立し、地域医療・衛生の改善に尽くした
社会運動家でした。
南北戦争では、南と北の傷ついた兵士を分け隔てなく看病し、
平和を願って活動しました。
母親は1905年に亡くなり、2年後の1907年、
母親を追悼するため集まった友人たちにアンナは、
母親への敬意を表すため「母の日」の構想を語ります。
彼女の願いは、1908年5月10日に実現しました。
ウエストバージニア州のアンドリュー・メソジスト教会で、
最初の公式な「母の日」の式典が行われたのです。
アンナは式典の参加者に、母親の好きだった白いカーネーションを
配ったそうです。
これが、母の日につきもののカーネーションの由来だったのです。
さらに1914年、ウィルソン大統領のとき、5月の第2日曜日を
「母の日」とする法律が成立し、翌年施行されました。
母の日 日本の場合
日本に「母の日」が紹介されたのは大正時代です。
1931年に、皇后の誕生日の3月6日が「母の日」に定められました。
1937年には、森永製菓が普及活動を展開し「母の日」は全国に
知られるようになりました。
戦後はアメリカにならい、日本も5月の第2日曜日が「母の日」に
なりました。
母の日に贈るカーネーションの色
アンナが式典で配ったカーネーションは白でした。
では、赤いカーネーションはいつ登場したのでしょうか。
母親の亡くなった人は白いカーネーションを
母親が存命な人は赤いカーネーションを胸に付けるように
アンナが提案したといわれています。
その後、白いカーネーションは亡き母の祭壇に手向け、
母が健在な人は、赤いカーネーションを贈るようになったそうです。
最近は、改良が進み、色とりどりのカーネーションが
花屋さんの店頭を飾っています。
どんな色のカーネーションを贈ろうかと迷ってしまいますね。
迷ったら、やっぱり赤。
赤いカーネーションの花言葉は「母の愛」です。
ピンクやオレンジも、OKです。
ピンクは「感謝」、オレンジは「純粋な愛」などを表します。
避けたいのは「嫉妬」などを表す黄色です。
母の日に贈るカーネーション 造花ではダメ?
近ごろの造花は、よくできています。
とても造花とは思えないような、精巧な花が売られています。
近寄って見ても、本物と間違いそうです。
でも、できるなら、本物のカーネーションを贈りたいものです。
年に一度の「母の日」ですから、毎年、感謝を込めてね。
まとめ
さて、最初に「母の日」を提唱したアンナですが、
「母の日」が当初の意図から外れて商業主義に走ることを
嘆き、失意のうちに亡くなったそうです。
アンナの意図を汲み、平和を願い、母を敬愛するという
「母の日」の原点を思うことも必要かもしれませんね。